あの爪にマニュキアを




 昼下がり。
 鬼太郎は人間界の商店街の一角で、じっと一点を凝視していた。そこは人間の娘たちが喜びそうな可愛らしい小物やアクセサリー、ちょっとしたコスメ商品が並ぶ雑貨屋であった。
 小さな造りで乙女チックな外観の建物に大凡(おおよそ)無縁であると思われる鬼太郎が、何故か足を止めている。何を見ているのかといえば、ショウウインドゥに飾られている淡い色目の花のような化粧品たち。それを、眉間に皺を寄せる程真剣に見ている姿は――少々滑稽だ。
 店から数人の客と思われる女の子たちが出て来た。女の子たちは鬼太郎の真剣な面持ちに可笑しみを感じ、クスクス笑いながら離れて行く。笑い声に漸く鬼太郎は周囲を顧(かえり)みる視野を持てた。途端に、自分が今とんでもなく恥ずかしい姿をしていたのだと気付き、慌てて店から離れようとした。



「鬼太郎さん?」



 カランカラン、と、下駄を鳴らして踵を返した矢先、カナリアのような声が聞こえた。鬼太郎の足が止まる。振り向くとそこには不思議そうな顔でこちらを見ている天童ユメコがいた。



「ユ、ユメコちゃん……」



 鬼太郎は狼狽(うろた)えた。ユメコに見られていたという事に羞恥心が更に増す。顔を真っ赤にして思わず後ずさった。
 しかし、ユメコはそんな鬼太郎の様子等意に介さず、にっこり笑む。



「どうしたの? こんな所で」



 こんな所で、というのは“人間界で”、と、“女の子の好みそうな雑貨屋の前で”、と、二つの意味を同時に含んでいるのだろう。鬼太郎はパクパクとまるで金魚のように口を動かして何とか言葉を吐き出そうとしているのだが、中々出て来ない。
 「可笑しな鬼太郎さん」と、笑いながらユメコは鬼太郎が見ていたディスプレイを見る。化粧品が並び、マニュキアがあった。
 ピンクともオレンジとも違う、あたたかくそして優しい色目はどうやらアプリコット色である。とろりとした液体が小瓶の中、室内からの灯りに仄かに輝く。小瓶の装飾も可憐で、蕾のようなキャップにマニュキアと同じ色が施され、まるで甘く瑞々しい香りが伝わってきそうだった。
 まぁ。と、ユメコの目が見開き、次には半円を描いた。



「鬼太郎さんがマニュキアだなんて、どうした事かしら」



 そう面白がって振り向いたユメコの少しだけ期待した目は、頭を抱えて蹲(うずくま)っている目の前の少年の姿をした半妖怪に降り注がれた。「ああ」とか「うう」とか言いながら、必死で何かとせめぎ合っているような鬼太郎であったが、ユメコに問い詰められて……観念した。



「実は……」








 数日前に、妖怪ポストに依頼が入って鬼太郎はいつものメンバーを伴って事件解決に赴いた。人々を脅かした妖怪は、その山村の土地神のようなもので、霊石、神岩とも呼ばれていたものが祭る事を忘れた人間たちに荒魂のまま禍を落としたのであった。鬼太郎たちは人間と土地神との仲を取り持ち、土地神にはこれ以上の悪さをしないように説得し、人間たちには土地を護る大切な存在を疎かにしないように忠告し、事件は解決した。



「大丈夫かい? 猫娘」



 事件が片付いた帰り道、鬼太郎は己の後ろで口惜しそうに自分の爪を見ている猫娘に声をかけた。心配そうな鬼太郎の声に、猫娘はまず驚き、ついで、照れるように笑った。



「あはっ、あはは。大丈夫だよ、鬼太郎。あたし、頑丈さだけが取り柄だしさぁ」



 そう言って、両手を自分の背中に猫娘は隠した。鬼太郎は立ち止った。そうしたら、まるで間合いを開けるように猫娘までも立ち止まった。――いつの間にか他の仲間たちは先に帰り、立ち止まったままのふたりは――少しだけ困った顔の猫娘と、どう言葉をかけようかと考えている鬼太郎は――夕陽が周囲を燃えるように赤く照らす人間たちの村からの帰り道に影を落としていた。
 鬼太郎は、ちゃんと見ていたのだ。
 今回の事件を起こした妖怪の正体がまさか日月の霊気を長い時をかけてその身に浴びて妖(あやかし)と化した岩であったとは知らなかった猫娘の鋭い爪の攻撃が悉く効果を成さず、それ所か、彼女の爪もその指先までも血が滲む程割れ、欠け、傷を負った事を。
 半べそかいて「痛い」と小声で泣いた猫娘を。
 少し悩んで、鬼太郎は猫娘が後ろ手に隠した彼女の両手を取り上げた。鬼太郎が動くのを金縛りにあったように身動きがとれないまま猫娘は「あ」と小さく声を漏らして鬼太郎にされるがまま、手を取られた。鬼太郎は掴むでもなくそっと猫娘の手を正面に持ち、その手、指先を見た。
 血は既に止まっている。傷も回復期に差しかかっているのか、瘡蓋(かさぶた)になって、その周囲は綺麗なピンク色だ。只、爪だけは欠けたまま。



「あははっ。爪は帰ったら爪切りで揃えちゃうから平気だよぉ。戦闘時にはいつものようにキッと伸びるから心配ないし」



 一段高い声の猫娘が早口で言う。鬼太郎はふう、と溜息を吐いた。



 「あんまり、無茶はしないでくれよ」

 「そ、そうだね……あたし、そんなに強くないんだしね」

 「そうじゃなくて……」



 ……女の子なんだから……。
 鬼太郎はもう一度溜息を零すと、言えなかったひと言を口の中で呟き、手を離した。するりと離した手の感触に、儚く切ない風がなぶって、去る。



 「帰ろ……。みんな待ってる」

 「……うん」



 今、山の稜線に消えた赤い炎のような夕陽の最後の輝きが、無言で帰るふたりの背中に当たっている。
 猫娘の女の子らしい華奢な手と細い指、その先の割れた爪と無理して笑う猫娘の様子が、その日、寝るまで鬼太郎の脳裏から離れなかった。






 そして、偶然立ち寄った店先に並んでいたマニュキアがあまりに優しい色で、まるであの夕陽の残光の中で光り映えた猫娘の肌のようで、鬼太郎は目に留めてしまったのだった。
 ――鬼太郎は簡単にユメコにその話をした。勿論、照れもある。あの時自分が猫娘の表情に、指に、その姿に感じた心の在り方全てを語った訳ではない。あくまでも表面をなぶっただけである。が、勘の良いユメコには何となく伝わった。
 ああ、そうか。と、思った。思ったと同時に、鬼太郎の優しさと、朴念仁な彼に切なさが湧き――苦笑してしまった。



「……やっぱ、可笑しいかな」

「ううん。ちっとも……。あ、私が笑ったのはそうじゃないから。ね、鬼太郎さん、あのマニュキア可愛いわね。猫娘さんによく似合うんじゃない?」

「え?」



 ユメコの唐突な――と、鬼太郎は思っている――意見に、鬼太郎は再び狼狽えた。あの爪にマニュキアを、とは頭にちらついていたが、それをユメコに話してはいない。あくまでも自分の空想であったから。まさか、自分の話ぶりや表情等で丸解りになってしまっていたなんて、思ってもいない。
 ――今日は“勝ち”を譲ってあげるわ、猫娘さん。ユメコはすっきりしたようでもあり挑戦的でもある思いを内心浮かべ、ちょっとだけ悪戯っぽく話しかけたのだった。



「ユ、ユメコちゃん……?」

「いっその事、プレゼントしちゃいなさいよ。うん、それがいいわ。何だったら私も一緒に入ってあげるから。その方が恥ずかしくないでしょ」

「え、えと……ユメコちゃん……!」



 狼狽えたままの思考が完全に止まってしまった顔の鬼太郎の腕を取りながら、ユメコは実に楽しそうに鬼太郎を店の中に誘(いざな)った。



 傍から見て――ふざけあっているような、じゃれあっているような、そんなふたりの姿を、ひとり、赤いスカートの少女が見ていた事は、気付いてはいない。








 人間界では到底あの子には敵わない。
 容姿も、環境も、恐らく鬼太郎の心も、何もかも全てあの子には敵わない。……だから、かな。猫娘は思う。だからかな、あたしがここに来ているのは。
 ここに――鬼太郎の家に、こうして意味も無く通っているのは。
 ここは人間の世界じゃないから。ここは妖怪たちの住処だから。ここは、あの子のホームグランドじゃなく、あたしの、だから。
 猫娘はツリーハウスの中、ちゃぶ台の上に上体を伏した。ちゃぶ台の上にはいつものまたたび餅。意味も無く通うけど手土産は忘れないようにしている。だって、少しでもここに来る理由を無理矢理にでもこじつけたいから。
 静かすぎる部屋の中、猫娘の身動きする時の衣擦れの音だけがする。風も無いし、虫たちの幽(かそ)けき歌も聞こえて来ない。まだ昼間だというのに今日は何て静寂なのだろう。窓から降り注ぐ日光も軒先の影に遮られて暗い。その奥に覗く空の蒼は驚く程深いのに――。ユメコちゃんのスカートの色に近いかな。……ううん。あの子のスカートはもっと明るい青だから違う。
 ひとりの呟きは、何だか虚しい。
 はぁ、と、溜息を零した時に、不意に入口の簾が上がった。



「猫娘……?」



 驚いたような、声。鬼太郎。
 猫娘はのそりと顔をあげた。鬼太郎が光を背にこちらを見ている。その顔には影が入っており、よく目を凝らさなければ分からない程であるが、猫娘の猫族特有の目には、どうしてここに居るんだと言っているような鬼太郎の驚きと軽い戸惑いがありありと分かる。
 ああ、そうよね。「どうして」よね。――猫娘は重い思考と同じく重く感じる自分の身体をちゃぶ台を支えにして持ち上げた。
 にっこりと、笑ってみる。



「あんまり遅いから、ついウトウトしちゃった」



 嘘。
 本当は寝ていないから。重苦しい思考に身動きが取れなくなっていただけ。



「随分、待ってたのかい?」

「……うん」




 これも嘘だけど――本当かも知れない。
 鬼太郎とユメコが店の中に消えたのを見て、猫娘は逃げるように走り去ったのだから。走って走って森に帰り、気が付いたらまたたび餅を持ってここに居た。時間の感覚が少しだけ狂っている。猫娘は苦笑した。



「でも、鬼太郎に会えたからいいや。あたし、帰るね」



 猫娘はそう言うと、さっきまでの重かった身体が嘘みたいに身軽に動き、跳ねるように立ち上がると鬼太郎の脇を通った。



「あっ、猫娘」



 無意識、だと、思われる。
 自らの横をそのまま素通りしようとする猫娘の腕を、鬼太郎は掴んだ。
 そして――彼女は条件反射、だと、思われる。
 猫娘は掴まれた腕を振り払ってしまった。



 「……あ」



 ふたり同時に言葉が詰まり、小さな呻きが漏れる。
 払われた腕の行き場に当惑し、そして駆け出すタイミングを逃してしまい、気鬱になりそうな雰囲気の中、鬼太郎と猫娘は困ったように視線を逸らして動けなくなった。
 鬼太郎は、さっきまで転寝(うたたね)て呼びかけに仄かに笑ってくれた猫娘が、どうしてこんな苛々した感じを出しているのかを考えてみたが、どうもしっくりこなかった。機嫌が悪かった理由――悪くさせた理由、己の認識範囲を越えた女の子の思考等、彼には分かる筈も無い。
 振り払われて、所在無くひらひらさせていた指先が、ふとズボンのポケットに当たった。ポケットには、あの店で買ったアプリコット色のとろりとした液体の入った小瓶と――。



「猫娘」


 鬼太郎に名前を呼ばれて、猫娘は俯いていた顔をあげた。鬼太郎の指がゆっくり動く。彼の指は何かを摘んでおり、猫娘の薄く開いた口にポンと押し込んだ。一瞬、何が起きたのか分からなかった猫娘は、思わず飲み込みそうになった口の中に入れられたものを八重歯でカリリと噛んだ。じわりと口腔内に甘い味と香りが広がる。あ、これは。



「飴?」

「うん」



 カリカリと歯を立てる猫娘に、鬼太郎は笑って答えた。



「苛々するのは糖分が足りないからだよ、きっと」



 理由は分からないけど、とにかく彼女は機嫌が悪い。鬼太郎はその意味を考えるよりも手っ取り早く回復させる手段の方をとった――つもりでいた。猫娘からはさしたる反応は返って来ないが、どうやらもう怒っていない事だけは伝わってくる。鬼太郎は気持ちホッとして、自分の手に残っている飴の糖分を舐め取った。
 呆けて鬼太郎を見ていた猫娘はその行為に火が点いたように赤くなり、ガリッと一気に飴を噛み砕いた位に心底慌てて驚き、そして、照れた。



「どうした? 猫娘」



 鬼太郎は猫娘の変化に不思議そうな顔をした。
 ――だって鬼太郎……その指はさっきあたしの唇に触れたもので、もしかしたらあたしの……唾液も少しだけ付いちゃったかも知れないのに、それをそれを……!
 ……否、それよりも。
 気付かないの? 普通はっ。
 バクバクと心臓が騒ぐ猫娘は、どうしていいか分からないまま……取り合えずカリガリ噛み砕いてしまった飴を飲み込んだ。



「え? もう食べちゃったの?」



 あれ、結構大きなものだったのに……と、言いながら鬼太郎はポケットを探るが、飴はあれひとつだけである。手に当たるものは、あのマニュキアだけ。飴はマニュキア買った時におまけとして貰ったものだ。
 飴よりも大事なもの――猫娘の爪を飾る為のマニュキアを、ぎゅっとポケットの中で握ると、自分の指先が緊張に硬くなっている事がよく分かる。只、これを渡すだけなのに、良かったら塗ってもらおうと思っているだけなのに、普段通りに簡単に言葉をかける発端が浮かんでこない。
 鬼太郎がポケットに手を入れて何かを考えている様子を猫娘は見ていたが、一体何を考えているんだろうと首を傾げてしまうばかり。只言えるのは、鬼太郎はあれを絶対気付いちゃいないという事だけ。飴を食べさせ、剰(あまっさ)えその唇に触れた指に付いた飴を舐め取る仕草は間接キスと同じ類になると知っていたら……絶対出来なかった筈だ。今、鬼太郎が何を考えているのかは分からなくとも、気付いちゃいない無意識の行為についてではないと猫娘は断言する。呆れる程の朴念仁な幼馴染の少年に、猫娘は腹立つ事も通り越して笑いたくなった。我慢しようと思っていたが肩がピクピク動き、それが余計に猫娘の笑いのツボにはまって、とうとう我慢できなくなった。



「あっははははは……っ」



 猫娘はお腹を抱えて笑った。
 今度は鬼太郎が呆れる番だ。何故急に笑われたのかが理解に苦しむ。が、それでも――猫娘が楽しそうに笑ってくれたのだからいいか、と、どこか安堵した。ポケット内をまさぐっていた指先の緊張も解け、鬼太郎はマニュキアを取り出せた。そして、笑い続ける猫娘の手を取って、それを持たせた。



「鬼太郎……これ……?」



 甘い色の液体が、とろとろ波打つ。



「見りゃ分かるだろ。マニュキアっていうんだ。まさか知らないのかい?」

「知ってるわよそれ位。だから、それは分かるんだけど……」

「これを買う為にユメコちゃんにまで協力して貰ったんだからなっ」



 店の前で笑いながらじゃれあっていたような幼馴染の少年と花のような少女。猫娘の脳裏にあの虚しい位の切なかった瞬間が鮮やかに映し出される。


 あれは……。



 事件解決の後、割れてしまった爪は爪切りで綺麗に整えられて、あの時の傷も瘡蓋までも既に無い。あの夕暮れの帰り道、鬼太郎は手を取ってくれて、指を、爪を見てくれていて……。



 ――あ。
 込み上げてきたこのあたたかさは、何?



「どうなんだい? 気に入ってくれるの、くれないの?」



 極度に照れているのか、口調がいつもより早く、そしてぶっきらぼうになっている。そんな鬼太郎を猫娘は軽く首を傾げて笑って見つめた。



「有難う、鬼太郎。これ、大事に使うよ」



 猫娘は小瓶を掌から摘まみ上げて、陽に透かして見た。とろとろの液体は境界でうっすらピンク色の光を放ち、ガラスに小さく乱反射する日光と重なって、この上なく――綺麗に見えた。
 猫娘の嬉しそうな笑顔を見て、鬼太郎は満足した。



「父さんは?」

「ん? 子泣きのおじじの所。今頃、将棋でも指してるわ」

「そっか……ねぇ」

「うん?」

「それ……つけて見せてよ」




「――うん!」



    - f i n. -


大和様から頂きました、相互記念小説でございます!
3期のキタネコ………っ!
戸田君のヘタレ具合が何ともいえないくらい可愛いの(*´Д`)ハアハアハア
またネコちゃんが、ユメコちゃんと鬼太郎の仲いい雰囲気を嘆く姿が切ない。だけど飴の一連でドキドキしちゃったり、戸田君からのプレゼントのマニキュアに喜んだり………んもうっ、ほんとキュートですvvv
大和様、こんな素敵な小説を本当にありがとううございます!!
これからも末永くよろしくお願い致しますーー!!(ぺこり!)











<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ