玉の海正洋



玉の海正洋(たまのうみまさひろ 本名:谷口正夫 1944年2月5日生)
 [大相撲力士]


 愛知県出身。1959年3月場所初土俵。1966年9月場所11勝4敗で場所後大関に昇進した。

 1970年1月場所で13勝を挙げ北の富士と優勝決定戦、敗退したが場所後2人揃って横綱に推挙された。

 玉の海は全勝優勝を飾った1971年7月場所前後に虫垂炎に罹患し、夏巡業を途中で休場するなど容態が芳しくなく早急な手術が必要な状態だった。しかし横綱としての責任感と、同年9月場所後に大鵬の引退相撲が控えており、本場所を休場すれば大鵬の引退相撲にも出場できなくなる為、虫垂炎の痛みを薬で散らしながら9月場所に強行出場した。この場所肋骨を折るアクシデントもあったが、12勝を挙げた。しかしこれが結果として玉の海の生命を縮めることとなり、土俵はおろか命の土俵をも去ろうとは、その時誰も思いもしなかった。

 10月2日の大鵬引退相撲、翌3日の淺瀬川引退相撲に出場後、直ちに東京都港区の虎の門病院に入院し、虫垂炎の手術を受けた。その時点では経過は順調で、10月12日に退院する予定であった。

 ところが10月11日の朝、起床して洗顔を終え、ベッドに戻ったところ、胸の苦しさを訴えその場に倒れた。そのとき既にチアノーゼ反応が起きており顔は真っ青だったという。急ぎ医師団の懸命な治療が行われ、一時は快方しかけたがその甲斐もなく午前11時30分に死亡が確認された。

 玉の海の直接の死因は虫垂炎手術後に併発した急性冠不全(右肺動脈幹血栓症、現在の言い方では術後の肺血栓)であった。玉の海のような力士体型の人間が手術後の血栓症を発症しやすいのは現代では常識であるが、その当時はまだあまり知られておらず、十分な予防策も取られていなかったものと考えられる。これから全盛期を迎えようとするのは確実だったため誰もがその死を惜しんだ。

 1971年10月11日死去(享年27)


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