チャールズ・ホイットマン



チャールズ・ジョセフ・ホイットマン(Charles Joseph Whitman 1941年6月24日生)
 [テキサスタワー乱射事件の犯人]


 1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。

 事件の一報を受けた地元の警官隊が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、警官が地下水道からタワーに侵入してチャールズを射殺するまでの96分の間に警官や一般市民など15名の犠牲者(腎臓を撃たれて重い障害が残り、後に死亡した1名と、被害者の1人の胎内にいた胎児を含めて17名)、31名の負傷者を出す等、最悪の学校銃乱射事件となった。

 チャールズは裕福な中流上層家庭で何不自由なく育った。成績優秀でスポーツ万能、音楽の才能を示すなど、恵まれた少年時代を過ごしている。その一方、厳格な父親からは体罰を含む厳しいしつけを受け、父との関係は悪かった。ボーイスカウトとして活動していた12歳のときには、当時世界最年少のイーグルスカウトに昇進したこともあった。アメリカ海兵隊で一級射手の資格を取ったのち除隊。事件当時は犯行の舞台となったテキサス大学で建築学を学ぶ大学院生であった。性格は穏やかで快活。冗談がうまく、子供好きで、誰にでも愛想が良く、「模範的なアメリカの好青年」であったといわれている。

 1966年、両親が離婚したころから発作的な暴力衝動や激しい頭痛に悩まされるようになり、カウンセリングを受けている。事件に先立ち「悲しませたくないから」という理由で妻と母を殺害、死後に自分を解剖をするよう希望する遺書を遺している。また、この遺書には、父親に対する憎悪の念が生々しく記されていた。他に、父親と弟に宛てた遺書も残されているが、父親宛ての遺書は現在も公表されていない。事件後、実際に解剖が行われ、脳の視床下部の部分からくるみ大の腫瘍が発見された。この腫瘍が脳の扁桃核を圧迫し、暴力衝動を誘発していたとも考えられたが、事件へどの程度影響したかや、事件の詳しい動機などはよくわかっていない。

 1966年8月1日死去(享年25)


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