坂本堤



坂本堤(さかもとつつみ 1956年4月8日生)
 [弁護士]


 神奈川県出身。東京大学法学部卒業。法律事務所へ事務職員としての勤務を経て、1984年、27歳で司法試験合格、1987年より横浜法律事務所で弁護士業務に携わった。

 出家信者の母親から息子のオウム真理教から、脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃は「坂本弁護士の活動は、教団からの出馬を予定している翌年の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に坂本の殺害を命じたとされる。

 11月3日、オウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡崎一明・新実智光・端本悟・中川智正が、坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本に馬乗りになり、岡崎が絞殺、新実が坂本の妻(29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(1歳)の口をふさいで殺害した。

 坂本一家が失踪した直後の1989年11月21日には弁護士有志の団体として「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成され、1995年9月に遺体が発見されるまでの間、坂本一家を救うべく、日本全国規模でチラシ等の配布やキャラバン活動が展開された。

 1995年地下鉄サリン事件が発生したのち、警察はオウム真理教の捜査を本格的に開始。その中、岡崎一明の自供により坂本一家が殺害されていたことがわかり、同年9月6日警察による山中の捜索が行われた。同日、坂本の遺体は新潟県名立町の山中で、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇で、白骨化した状態で発見された。一方、長男が埋められたとされる長野県大町市日向山の山中での捜索は難航を極めたが、4日後の9月10日に発見された。坂本の死体は歯型から身元がわからぬようと歯をツルハシで粉々に砕き、埋葬現場で景気付けに食べたタラバガニの殻と一緒にゴミと同じように埋葬されたと早川らは証言している。発見された坂本の頭蓋骨には大きな穴が開いていたという。刺殺された村井を除き、実行犯全員に死刑判決が出た。坂本の妻が遺体で発見された場所には遺族が木製の慰霊碑を建て、慰霊登山も執り行われている。

 失踪当初、坂本が所属していた「横浜法律事務所」等の関係者からは、オウム真理教の関与を指摘する声があったが、神奈川県警察は事件性は不明であるとの認識であった。これは、横浜法律事務所が労働問題や日本共産党幹部宅盗聴事件において、警察側と対立していたため、横浜法律事務所の弁護士の訴えに対して必要以上に慎重な姿勢をとっていたのではないかとの疑念も残る。特に国労横浜人活事件では坂本が主に担当していた。ただでさえ反権力志向とされる在野法曹のなかでも、とくに共産系とされる弁護士らは警察と対立する立場にあり、反共産主義的な意識が初動捜査の失敗につながったとされる論調があった。一方、宗教団体が政治的に力を持つようになったことが警察を萎縮させたという指摘もあり、特にジャーナリストの溝口敦は、創価学会の政界進出のころから、宗教法人の不祥事があったさい、それが明らかに違法行為となっても、司直の手が入らなくなったと指摘している。そのため記者クラブにおいて、県警は「坂本は借金を抱えて失踪した」とか「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」などの事実無根の噂を新聞社数社に流している。しかも、それと同時に県警は「任意の失踪の可能性は五分五分」とリークしている。1990年2月に神奈川県警察に「長男は長野県大町市日向山の山中に埋めてある」と書かれた内容の手紙と埋められている場所を示す手書きの地図の入った差出人不明の封書が届き、神奈川県警は長野県警と合同で示した場所を捜索するものの発見できなかった。 結局「再捜索」は1995年9月の坂本一家の遺体発見まで行われなかった。坂本が労働運動弁護を行っていたり、所属事務所が日本共産党に近いとみられていたことから、神奈川県警が坂本を快く思っておらず、捜査も「手抜き」をしているという批判があったが、当事、横浜地検検事正であった佐藤道夫氏は、「この批判は的外れ」であり、県警はオウムの関与は間違いないだろうと判断しており、事の性質上、捜査の方向や進捗状況を明らかにするわけにいかなかった。あの時点では家宅捜索なりを行うのも無理であったと述懐している。

 1989年10月26日にTBSのテレビワイドショー番組『3時にあいましょう』が、当時社会問題化し始めていたオウム真理教問題について、坂本のインタビューを収録したが、その情報を察知したオウム真理教幹部らが、TBSの千代田分室を訪れて抗議したことにより、坂本のインタビューの放送が中止された。さらに、TBSがオウム真理教幹部にインタビューの模様を放送直前に見せた。この後、同年11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が発生した。こういった経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、殺人事件のきっかけをつくり、失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたという批判もなされた。

 この事件には多くの不明点がある。被害者の遺族の中には、「本当の命日を知りたい」という声がある。事件直前、坂本の自宅に対し「坂本さーん」と呼ぶ女性の声があったことや、その後で浴室からの水音を階下の住民が聞いているのに、事件が起きたとされる時間帯には全く物音がしていなかった事を、たまたまその時間に起きていた階下の住民は証言している。現在この一家の行方は不明。事件が起きた時には、坂本の自宅は施錠されていなかったことから、当時の緊迫した状況からは考えにくいとして、「坂本家に侵入したオウム信者とは別に、教団外の協力者がいたのではないか?」との疑いを持つ者もいる。坂本の自宅から茶碗が3つ消えている。「事件に関与した」とタクシー運転手を自称する者が、1994年頃に月刊誌『マルコポーロ』の編集部に現われた(証言の真偽は不明なまま)などの「謎」が取り沙汰されている。

 オウム真理教広報の人物もこの事件に関与しているのではないかとされているが、本人は1995年5月の記者会見時「私には当日アリバイがあり、坂本弁護士が行方不明になった事は信者から聞きました」と主張したが、聞いたとされる日時が報道発表より4日も早い。坂本の自宅に落ちていた「プルシャ」と呼ばれるオウム真理教徽章は、当時はオウム真理教幹部しか付けていなかった。「坂本一家・行方不明」の報道後、オウム真理教広報の人物は大量生産を命じた後、横浜法律事務所側からの問い合わせに「プルシャのバッジは大量生産されているので分からない」と返答した。

 1989年11月4日死去(享年33)


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