リー・ハーヴェイ・オズワルド



リー・ハーヴェイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald 1939年10月18日生)
 [アメリカ・JFK暗殺の実行犯とされる人物]


 ニューオリンズで生まれ育つ、父親はオズワルドが生まれる前に死亡したので、おじに幼児と思春期の生活を見てもらっていた。おじはマフィア組織の人間でもあった。離婚した母親に育てられ、成績は平均的。年少期はスパイドラマが好きだった。登校拒否の経験がある。兄が海兵隊に入ったとき、オズワルドは、民間の航空部隊(CAP)に参加していた。この頃からロシアの新聞を購読し始める。17歳で海兵隊に入る。公務の一環として、ロシア語を専門的に勉強した。

 オズワルドは元アメリカ海兵隊員で、1957年日本の厚木基地に勤務していた際には航空管制官を務めた。その頃の月給は85ドル以下。軍病院によると性感染症を「職務の一環」で煩っていた。なお、この頃に同僚に対する殺人の容疑を掛けられたことがあるほか、銃の不法所持および発射の罪状で軍法裁判において有罪判決を受けている。軍を除隊後、アメリカの市民権を放棄し、ソ連に行き、ミンスクで生活をする。また、この時に得たロッキードU2偵察機の機密情報を、後にソ連に亡命したときにソ連当局に提供し、この情報が元で1960年5月1日にソビエト上空で偵察飛行を行っていた同型機が撃墜されたのではないかといわれている。

 オズワルドは軍歴中の1956年12月に、200ヤード離れた50の目標に速射で48および49の命中を達成し「射撃の名手」とされた。しかし射撃術章には到達しなかった。そのため懐疑論者は、オズワルドがライフルで、彼が証言した位置から移動するケネディを正確かつ急速に撃つことができた可能性について疑問を呈している。ケネディ殺害時に使用されたとされるイタリア製ライフル銃「カルカノM1938」を使用した、エキスパートの射手による実験では成功した例がある。しかし、オズワルドに可能であったかどうかは判定できない。

 オズワルドは日本の厚木基地での軍歴中にロシア語を学び、ソ連に旅行し、そのまま亡命した。1959年にアメリカのスパイとして疑われ、追放されることを避けるために自殺を試みた。その後、ソ連政府当局は、ミンスクでの生活を許可した。ここで彼はテレビ工場で働き、ソビエト人のマリーナと結婚した。

 オズワルドはかつてマルクス主義者であると主張し、駐モスクワアメリカ大使館にパスポートを返却しアメリカ市民権を放棄しようとしたが、その後考えを変えマリーナと娘を連れて1962年にアメリカへ帰国した。アメリカ市民権放棄の試みが、ソビエトからの技術的な秘密を獲得する為のCIAの計画だったとの指摘や、後に「共産主義シンパ」としての隠れ蓑のもとで諜報活動をする際の実績を作るためであったとの指摘をする者もいる。

 彼が帰国を申請した際、入国許可を得るのに6ヶ月間を要したが、亡命し軍事機密を引き渡した疑いのある人物の帰国をアメリカ政府は許可した。仮想敵国の国民であった妻子の入国も許可された。オズワルドは帰国後、ダラスのフォートワース地区に居住した。また、1963年4月10日、反共主義者として知られたエドウィン・ウォーカー将軍を狙撃したとされる。オズワルドはニューオリンズに居を移し、フィデル・カストロの支援団体「キューバ公平委員会」に参加、ビラ配布の際に逮捕されている。1963年9月27・28日、オズワルドはメキシコに赴き、ソ連大使館、キューバ大使館を訪問した。オズワルドがソ連大使館で面会した二人の大使館員はKGBの工作員であったとされる。この頃は、ロシア人妻との結婚生活はほとんど壊れかけていたうえに、仕事もなく無一文だった。帰国した当初は、コーヒー会社で働いていたが、2ヶ月で解雇されている。

 その後、デイヴィッド・フェリー、ガイ・バニスターという反カストロ派の人物と頻繁に会うようになる。1963年の春から夏にかけて、おじが運営するニューオーリンズの競馬賭博事業で掛け金徴収人として働いた。

 1963年11月22日午後12時32分、オズワルドは教科書倉庫ビル5階窓から遊説中のジョン・F・ケネディ大統領を暗殺したとウォーレン委員会は発表している。その後、2階の食堂にて食事していることが巡回中の警察官に確認されている。警官は管理人にオズワルドの事を尋ねると、「ここで働いている」と答えた。その後、建物を出たオズワルドはJ・D・チピット巡査を職務質問中に殺害、その後テキサス劇場で逮捕されている。

 オズワルド自身は逮捕直後から「自分ははめられた」「身代わり」と記者団の前で主張している。記者に顔の傷の事を問われると、「取調べ中に警官に殴られた」と語っている。2日後、告発前の郡拘置所へ移送される間に、ダラス警察の地下で、ジャック・ルビーによって射殺された。

 暗殺事件前後に“オズワルド”を偽称する者が複数目撃された証言があるなど、暗殺に関してオズワルドは実際の暗殺犯ではなく他のものの身代わりとして行動したと主張する論者が多数存在する。マフィアとの関係が指摘されるルビーが何故やすやすと警察署に入ることができたかという疑問や、オズワルドとルビーの間には共通の知人が何人もいたことや、2人自身が顔見知りの関係であったという証言もあるなど、暗殺犯はオズワルドではない、あるいは単独犯ではないという説は未だ根強い。しかしながら、ウォーレン委員会の正告によると、様々な物的証拠を検証するとオズワルド単独犯で説明がつくと結論されている。真実は2039年に解禁されると言う。

 1963年11月24日死去(享年24)


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