レオ・ライアン



レオ・ジョゼフ・ライアン・ジュニア(Leo Joseph Ryan, Jr. 1925年5月5日生)
 [アメリカ・政治家]


 ネブラスカ州リンカーンに生まれた。幼少時、イリノイ州、フロリダ州、ニューヨーク州、ウィスコンシン州、マサチューセッツ州に住んでいた。1943年にネブラスカ州の高校を卒業すると、ベイツ大学で訓練を受け、同年から1946年までアメリカ海軍軍人として潜水艦に乗務した。

 ネブラスカ州のクレイトン大学において1949年に学士号(バチェラー・オブ・アーツ)を、1951年に修士号(マスター・オブ・サイエンス)を取得した。高校で歴史教師として働いた後、1956年から1962年までサウスサンフランシスコ市議会議員を務めた。1962年にサウスサンフランシスコ市長に、次いで27区のカリフォルニア州下院議員に選出された。1972年に合衆国下院議員に当選した。

 ジム・ジョーンズ率いる人民寺院が建設した町ジョーンズタウンにおいて信者に対する虐待や人権侵害があるという疑惑が浮上、元信者の父親ボブ・ヒューストンと親しかったライアンは調査に乗り出すこととなった。1978年11月14日、彼は自らのスタッフ、信者の家族や報道関係者を引き連れ、ジョーンズタウンを視察に訪れ、ジョーンズら人民寺院の上層部と会見した。視察に先立ってジョーンズが全容を隠匿したため、当初ライアンは「ジョーンズタウン」の真実の姿には気づかず、友好的な目で見ていた。

 しかし、数日滞在するうちジョーンズの異様な振る舞い(突然大声で吠え出したと思ったらいきなり涙を流したり、といった異常な人格変換)、隠された区域にこっそり入ったところ、不衛生な小屋にスシづめにされ医者も呼ばれず死を待つばかりの老人たちなど発見、ここでは信者に強制退去させられるなど、教団の異様性に気づく。また、監視の目のないところでは多数の帰国を希望する信者からの訴えを受けたことや、様々な虐待の証拠を発見したことから、4日後の11月18日に一通りの視察を終えたライアンは、ジョーンズに帰国希望者計16人をアメリカに連れ帰る事を提案。実際は恐怖政治による監禁コミュニティではあったが、対外的には「ジョーンズタウンからの出入りは自由」、と標榜していたためジョーンズと人民寺院側も渋々承諾した。

 しかし、ジョーンズタウンを出発時にライアンは突然信者に切り付けられた。不安の中、ライアンら視察団と16人の帰国希望者が同日午後に「ジョーンズタウン」近くのポート・カイトゥマ空港に到着し、ガイアナ航空とチャーター会社の小型機2機に分乗して出発しようとする。突然「帰国希望者」の1人が発砲するとともに、人民寺院の信者たちが密林からトレーラーで現れ銃撃を加えた。これによって、ライアンとNBCテレビのドン・ハリス記者、取材クルーら5人が死亡し、11人が重軽傷を負った。

 ライアンの遺体はカリフォルニア州サン・ブルーノのゴールデン・ゲート国立墓地に埋葬された。

 1978年11月18日死去(享年53)


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